月明かりの中で


「はぁ……」
 ビアンカは、今日の昼から数えて23回目の溜息をついた。
「……ふぅ」
 24回目。
 イマイチ気分に乗らないのは、やはり、リュカのことが影響しているのだろう。自分を選ばず、彼は生涯の伴侶にフローラを選んだのだ。再会したとき、そして抱きしめられたとき、彼が自分のことを想ってくれていると感じたのは──錯覚だったのだろうか。
「あーあ、つまんないな〜」
 ビアンカは思う。
 自分が家で一人物思いに耽っている間に、リュカは何をしているのだろう。成金オッサンが用意した船に乗って、何をしているのだろう。美しい、誰が見ても惚けたように見とれてしまうのであろう花のような妻を貰い、何をしても良くて、と言うか何かをしないといけない関係で、船室ではもちろん二人っきりだろうし邪魔するヤツもいないし二人とも若い、一体、何をしているのだろう。
 もし自分がリュカと一緒にいれば、もちろん船室と寝台は一緒のところで寝るし、船の操縦なんか他の船員に任せっきりで朝から晩まで旦那様と一緒に、ハダカで寝台の中に入って、自分から覆い被さっていってリュカの驚く顔を見て可愛いなんて思って、それでキスをしたらリュカの方から舌を入れてきて、くちゅ、とか、ちゅぱ、とか言う音をさせながら思う存分楽しんで、そうこうしてたらリュカの腰の所にまたがっている自分のあの部分に硬い何かが当たって来るようになって、「あぁ……」とか顔を赤らめて吐息を漏らすことで気付いたことをアピールして、自分からすりつけてたらリュカが「欲しいの?」とかいじわるに、でも優しく問いかけてきたりして、何も言えない自分に「はっきり言ってくれないよわかんないよ」とか言ってくるから「いじわる……お願い……」とかカマトトぶる演技で自分とリュカを盛り上げながら、ついに入ってくるリュカのアレの感触で天国まで登り詰める感覚を味わうわ!
 ──と、ググッと握り拳を作っている自分に気付き、ビアンカはやや顔を赤らめて気持ちを落ち着けた。
「これじゃ欲求不満の年増女じゃないのよっ」
 これだけの美貌を持っているんだから、こんな妄想に耽っている必要なんてない。確かに、確かにビアンカはもう二十歳過ぎ。十五、六で結婚する人間もいる中、この年齢で独り身ということに、焦りが多少なりともない、というわけではない。でも病身の父がいるし、こんな田舎にそうそう良い男がいるわけでもない。仕方ないじゃないか、と思うビアンカだ。
 しかも、幼なじみの少年は他の女に手を出して、あっさり結婚して旅立つし。
「ふぅ……」
 ビアンカは、今日25回目の溜息をつくのだった。

 外に出ていい男を捜そう。そう考えて、家から出ていく。
 歩く。
 村の人たちとにこやかに挨拶を交わす。
 この村にビアンカほどの美しく繊細な肢体を持っている女性は──まぁ、あくまでもビアンカと比べて、という話だが──いない。だから、若い男達は彼女に熱い視線を送ってくるし、多少年のいっている男たちの中にも好色そうな目を向けてくる人がいる。相手を選ばなければ、ビアンカも即日結婚だって出来るだろう。しかしそれは、まさに相手を選ばなければ、の話だ。しかも、つい先日までリュカと一緒に旅をしていたとなると、どうしても基準がその幼なじみの少年になってしまう。それでは、なかなか彼女のお眼鏡にかなう人物がいるはずもないのだ。
 しばらく歩き、母の墓前まで来た。
「あいつと再会したのって、ここだったよね」
 もう、はるか昔に感じられる「その時」。たくましく成長したリュカを見て、正直とまどった。あの幼い男の子のイメージとは全然違っていた。でも、しばらく一緒に旅をしてみると、本質的なところでは、彼はやはり昔のままの彼だった。それは、ビアンカにとって嬉しいことだった。
(今になって考えると、やっぱり、私はリュカのことが好きだったのかな)
 心の中で母に問いかける。
 もちろん返事はない。
 自嘲気味に、ビアンカは立ち上がった。帰って、父と私の晩御飯を作ろう、と考えたのだ。それはイヤなことではないが、心浮き立つものでもない。
 力無く振り返ったとき、目の前に少年がいた。
 軽く会釈をして横を通り過ぎようとしたとき、少年がビアンカを呼び止めた。
「ビアンカ……さん」
「え?」
「あ、やっぱり、ビアンカお嬢様ですね!」
 少年の口調が弾んだものになった。
 ビアンカは驚いた。お嬢様、なんて呼ばれるのは、自分が小さな時以来だ。地方ではやや大きくて名も通っている宿屋の娘。その時は従業員なども沢山いて、彼女のことを「お嬢さん」と呼んでくれたものだった。もう、そんな機会もないだろうと思っていたビアンカだったのだが──。
「えっと、貴方は?」
「あ、すみません。えっと、ダンカン様の宿屋でお勤めしていたサリナという女性のこと、覚えてらっしゃいますか?」
「え、ええ……えーっと……」
「料理が担当だったと思います」
 ビアンカの脳裏にある光景が浮かび上がってきた。
 父母が忙しく働いている中、自分に食事の用意をしてくれていた女性のことを。お腹が減って厨房にコソコソと侵入してそこにあった食べ物をつまみ食いしていたら、怒り、そのあと優しく諭してくれた女性のことを。
「あ、あのサリナさんか。えっと、それで」
「はい、息子のカイと申します」
 十四、五歳あたりの、浅黒く日には焼けているが清潔で綺麗な顔をしたその少年は、ビアンカに微笑みかけたのだった。

 家に連れて帰り話を聞いてみると、彼はいわゆる「修行の旅」の途中だと言うことだ。サリナはダンカンが宿屋から身を引いた後、大きな街のある料亭へと誘われ、そしてそこで知り合ったその料亭の一人息子と結婚をしたらしい。子持ちの未亡人だったサリナだが、相手の男はそんなことは気にせず自分を実の息子として扱い愛情を注いでくれた、とカイは語った。
「で、今年、ボクは十四歳になるんですけど、その料亭の男の子ってこの歳になると、一人旅にしばらく出されるんです」
 そう言うわけで、サリナが旅の途中にダンカンが療養しているこの山奥の村にも行って自分の近況報告してこい、と頼んだらしい。
「ふーん、大変なんだね」
 ビアンカは、少年にお茶を出しながら感心したように見つめた。しかしこのご時世に一人旅に出すのはやばすぎなんじゃ、とも思った。
「それで、これからどうするんだ?」
 ダンカンが訊ねる。
「えっと、しばらくダンカンさんに宿屋経営の話とか、色んなことを教えて貰えたら……と、そう思ってます。ダメですか?」
「いや、うーん、そうだなぁ」
 口ごもるダンカンに向かって、ビアンカは口を開いた。
「良いじゃないのよ、お父さん。気晴らしにもなるし」
「そうかっ。いやぁ、お前がそう言うんなら、わしも良いぞ」
 笑顔になる父を見て、ビアンカは嬉しくなった。いつも寝ていないといけないから、退屈してたんだよね……良かった。彼女は微笑んだ。
 少年も「ヨロシクお願いします」と頭を下げ、そして二人に笑顔を向けたのだった。